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DIARY

木工制作者にとって丸太の購入、製材は必須とは言えませんが出来れば、出来る限りこの段階から関わった材料を使いたいと考えています。材木商から板を一枚、二枚と購入する事は勿論可能ですが、一つの品物を作るのに十枚の板が必要とした時に、同じ樹種でもそれが一本の丸太から挽いて取られたものが揃う事はまずあり得ません。同じ樹種の木にもそれぞれ個性があって板になった時に木味の違いとなって表れ、それをランダムに組み合わせて作ったものと、同じ丸太から取った木味の揃った板を組み合わせて作ったものとどちらが良い仕上がりになるかは説明するまでもないと思います。メリットはそれだけではありませんが、デメリットに繋がりかねない緊張感もまた買っています。それは信頼の置ける材木商の社長の勧めを受けて丸太は買いますがどんなに熟練のプロでも透視能力がある訳ではなく、丸太の中身は挽いてみなければ厳密には分からないという事です。いい木目、想像以上の板が取れれば顔がほころび、また思いがけない難が出れば「うっ」と表情が歪みます、北米産材のウォールナットは中から銃の弾丸や鉄線が出てきて材を傷めている場合などもあり製材中はやはり目を見張ります。今回は概ね「よしっ」と終えられましたので写真を並べてみます。緊張感が多少でも伝わるでしょうか。 岸和田市(株)服部商店にて これから桟積みをして何年もの乾燥期間を経た後に加工に使える材料となります。
2012-06-18 | Category: DIARY

 

ガラスと木は対照的な素材。感覚的な言葉で表すと硬いと柔らかい、冷たいと暖かい。ガラスは衝撃に脆いが方や木は粘り強い強度を持つ、など。また透明と不透明は言うまでも無い事ですがこの点が組み合わせて使うには特に面白いと思えるところです。無表情で透明なガラスと対比されると木はその木目が表情豊かに引き立っているように見えます。ショーウィンドウやショーケースの様にガラスを通して見ると中のものが艶やかに見えるのも効果的で、組み合わされた木に対しても同様の効果はあるはずと私は思います。しかし光の加減ではそれも全く裏切られ白く反射して向こうの物は何も見えなくなったり、映り込みが強くてそれしか目に入らなかったりと、透明ガラスが不透明になる時があるのですが、家具の場合それも味方につけて考えれば一つのテーブルやガラス扉のキャビネットが時間帯や季節の移り変わりで、また見る角度でも幾通りもの表情を持ちバリエーション豊かに楽しめるのです。
2012-06-05 | Category: DIARY

 

レストア

2012-04-07
分解、塗装のはく離という普段では馴染みの無い作業から始めました。車やオートバイは年式の古いものをレストア(レストレーション)して内外装やエンジンに手を入れ走行不能だったような車体を蘇らせる、そんな業者が家具よりはまだ一般的にあるように思います。私も学生の頃から車好きで旧車好きなので車のレストアの作業を時々目にする機会がありますが、年式が古ければ古い程その作業は当然ながら困難で全体を各部品に分解し、腐食部分を造形し直したり、手に入らない部品を新たに作ったり、同仕様の他車から部品をコンバートしたりと・・・細かくは切りの無い作業です。今回の書斎机(椅子)の修理も先ず各部の分解に始まり、車のレストアと同様で使える価値ある部材は極力使える状態に戻し、新たな部品を組込んだ方が良い場合は全体に馴染むようにして加える、という作業を施しました。写真には表れない内部の部材や引出しの箱は虫食いのダメージがひどくほぼ一式作り替えた程ですが、表に出ている楢材はホゾの組み直しや、反りの矯正、補強等そして再塗装を施せばしゃきっと蘇りました。作られてから少なくとも60年から70年くらい経つ机ですが私の診断ではまだまだ折り返し地点にも達していないのでは、と。納品時に依頼主の方に大変喜んで頂いたのが第一に何よりの事ですが、この年代の家具(木製品)に触れ感じる事も多くありましたので良い機会となりました。     Before  
2012-04-07 | Category: DIARY

 

柳田國男の机を見る事を目的に兵庫県神崎郡福崎町の記念館を訪ねてみました。この机は柳田が大正10年頃から昭和37年にかけて成城の書斎で愛用していたもので民俗学の数々の名著はこの机で執筆されたと言われています。写真で見ていた印象よりも実寸法は小さく天板部で1200×700程のコンパクトでありながらしかし凛とした佇まいがある立派な机です。 この机にとても良く似たものがあるので是非修理(修復)をして使いたいと、以前からのお客様から連絡がありました。こちらは南あわじ市の某医院の院長が使っていたものでおそらく昭和20代からかな・・との事ですがいつどこで作られたか等は聞き伝わっていないようです。材質や細部の工作、また全体の大きさはに違いはありますが両袖と中央の引出し、天板上の棚、蛇腹式のシャッター等はほぼ相似形の構成になっています。推測では大阪から運んできた可能性もあるとの事でしたのでこちらは関西圏の職人の手に依るものでしょう。片や柳田の机は東京または関東圏の職人に特注して作ったものでしょう。(記念館で尋ねてみましたが机についての詳しい資料や記録は特に無いようでした。)特注の家具とは言え何処でどんな職人が作ったかという事は半世紀以上も経つと案外わからなくなってしまうものです。こんな事も、特に目立って注目される事無く日々生活をし生涯を終えていく八割方の人々の営みに注目し掘り下げた柳田國男の学問、フォークロア(民俗学)と重ねてみると面白いと感じました。そして修理は引き受けましたので少なくとも50年後の職人に繋ぎたいと思うところです。  
2012-02-28 | Category: DIARY

 

2012 始動

2012-01-09
2012年1月は予定通り5日から始動しています。今月は昨年末から取り掛かっている仕事が一つ、娘さんが結婚の門出に持って行かれる為にと、ご両親から依頼されご本人やその兄弟の方と和やかに打合せをした家具の制作を進めています。そしてもう一つは天板が2400×1200×約80の大きなテーブルを一枚の板でという依頼を支給材で進めて行きます。(写真)普段は勿論私の方で持っている材、または探した材を使いますが今回は他方から条件に合った材が見つかりましたので図面作成と制作を引き受けました。どちらもそれぞれに緊張感のある作業で新年のスタートには何よりと感じています。 しかしいずれも納期に余裕は有りません、木屑にまみれる一月となりそうです。  
2012-01-09 | Category: DIARY

 

塗装・無塗装

2011-10-27
栗材のテーブルができた。制作工程の途中でも「ひとまずできた。」と思えるのは塗装の工程を残すのみとなった時。木取りから始まり、削り、組み立て、塗装の為の生地調整と進み、さてと全体を眺める。全体のバランスはこれで良かったか、ディティールに不備はないか等の確認もあるが、調整しながら進めてきているのでここで大きく手を加える事は無い。この「眺める」で無塗装の木の表情を束の間愉しみたいと思い、記憶しておきたいとも思っている。次の工程で塗装を施してしまうとこの状態へは二度と戻す事はできない。家具店に並ぶ量産品も我々が作るオーダーメードの物も大半は何らかの塗装が施されてありユーザーがこの無塗装の状態の製品を目にする機会はあまり無いはずだが、木の生き生きとして艶やかな表情に被いがされていない状態で形は完成しているのだから、ともすると一番いい状態で綺麗だといつも思う。ではなぜ塗装をするのかと言うと第一に表面の保護剤でありまた表情に深みを出す化粧ともなるからだろう。今回のテーブルもこのまま使い始めるとそれは気持ちがいいはずだが、一ヶ月もすれば手垢、染みが付いて、日差しが差し込む明るい部屋であれば色も少し付き始めるだろう。スッピンで美しい女性も毎日そのままでは日焼けも気になるしシミが出来てしまっては取り返しがつかない、そして更に美しくなりたい・・・と似ているかもしれない。 それでも思い切ってダイレクトな木の経年変化を味わいたいという方には、樹種や作る物の種類にもよるけれど稀に無塗装の製品を提供して使って頂いている。これはオーナーの努力も必要だが深い味わいが出てきている。                 塗装もまた大切な工程なのでその種類や特徴等についてはまた何かの機会に紹介したいと思う。  
2011-10-27 | Category: DIARY

 

教会に長椅子を納めた。背もたれの後ろに聖書台があるのが一般的な椅子とは異なる特徴で、今回長さは各2m10cm。 この教会の信徒さんが工房を訪ねてくれたのがこの仕事の始まりとなった。打合せ、納入場所の確認に何度か伺ったが、日曜日だと子供さんからご老人まで老若男女が日曜礼拝に集う、牧師さんが女性という事もあってか柔らかな雰囲気の教会だった。私はクリスチャンではないが教会の建物の中にしばらくいると気持ちが少し落ち着くような気がする。旅先などで大聖堂の圧倒的な空間を訪ねても、また片田舎で小さな寺院に足を踏み入れてもその気持ちは似ている。ある本に依るとそれは日本人の独特の宗教感覚に由来すると言っている。多くの日本人は「無宗教」を自称しながら神社やお寺、教会あるいはモスクでしばらくゆっくりと座っていると敬虔な、心が洗われるような気持ちになるはずで、それはある宗教以外は認めないという排他的な思いを持たず、広く神仏を信じる気持ちを強く持っているからだと言う。私はその気持ちの由来は日本の気候風土に依るところが大きいと感じる。今年のような大災害に見舞われると人間の無力さを強く感じてしまう機会となる、神に祈り、仏を拝みたくなる気持ちは自然に生じるものだ。                  先日作業中に訪ねてくれたアメリカ人の友人が教会の長椅子(信徒席)の事を英語では特別にpew(ピュー)と言うんだと教えてくれた。この椅子にも長い年月をかけて人々の祈りが染み込んでいくのだろう。

 

淡路キリスト教会 / 淡路市岩屋

2011-10-16 | Category: DIARY

 

香雪美術館

2011-10-14
前回夏の初めに暑中見舞いを書いてから瞬く間に月日は経ち、季節は秋。朝晩が涼しい、から少し寒いという言葉に変わる頃が日中の作業場での仕事が一番はかどる頃かもしれない。季節も良いので先日妻と神戸の御影にある香雪美術館の展覧会に足を運んだ。御影は私が通っていた高校があり、また独身時代に近くに住んでいた事もありとても親近感を覚える街、この美術館はその静かな住宅街の中に佇んでいる落ち着いた小さな美術館で以前から好きな場所だ。展覧会では作品の批評などおこがましいので、展示作品の中から一点だけ自分に頂けるなら何れを選ぶかという見方をしてみる。岐阜の師匠から聞いて以来そうしているが、かしこまって展示されている作品が随分身近に感じる。私がいいと思った茶碗を妻もいいと言った。なんて書くと仲のいい夫婦のようだが  ・・・・・  どちらが頂くのかそれでもめるのかもしれない。秋もまた楽しもう。
2011-10-14 | Category: DIARY

 

修理

2011-05-30
私は二十代の会社勤めをしていた頃、会社の休みがが平日だった事も有り一人で神戸の街の骨董屋又はアンティークショップを訪ねて回るのがちょっとした趣味だった。どの店も若造を心良く招き入れてくれていたが阪神淡路の震災以降店を閉めてしまったところが多い。神戸の経済状況やアンティークと呼べる年代のものが品薄になって来た事が理由だが街の深みを出していた部分が今少ない事が寂しい。一軒の店の店主を久しぶりに訪ねたところ家具の修理を頼まれて作業場に持ち帰った。19世紀フランスのコンソールだが細い線でよく長い年月頑張ったなと言いたいし、小さいものだが作った人の繊細さと大胆さには見習うところが有る。また脚の間にある棚は豆の形をしていて、日本でも「まめまめしい」と怠りずにせっせと働く事を良しとするが、英語やフランス語にも同じようなニュアンスの言葉があり「full of beans 」は、元気いっぱいで、達者でという意味、ポジティブさを造形にした一つの表れなのだろう。古いものを前にそんな話をするのが面白いじゃないか。 次は20世紀のトレー・・・いやこれは私が十数年前に友人の結婚祝いとして作ったものだが長年の内に取手が破損してしまったとの事で修理を引き受けた。夫妻と共に時間を過ごして来ているのでキズも部材も出来るだけそのままにと思ったが、よくよく診断して先の年月の事を考えると取手部分の部材は新しいものに挿げ替える事にした。これはトレーとしては使いにくそうに思われるかもしれないが、料理好きの友人に客をもてなすトレーとしても、料理を盛るプレートとしても使えるようにとデザインしたものだ。「形に意味を」といつも思っている。  
2011-05-30 | Category: DIARY

 

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